言葉の重さ/軽さ
ここで言いたいのは、いわゆる「言葉の意味の重さ」ということではありません。
ある文章を読んだとき、なんとなく自分の気持ちや身体までも巻き込むような、物理的な重みを感じさせる重苦しさや、さわやかな風の中にいるような軽やかさを感じる文章のことです。
飛浩隆氏の物語を読むと、さわやかさの中にも、まるで押しつぶされそうな暴力的なイメージの中に引き込まれていきます。それが一体何なのか、実は、この本で著者は以下のように言っております。
その不安定性の上に、先ほど書いた飛の根源的モチーフ、すなわち「もの」と「かたち」と「ちから」の相克が投影され、大きく揺れ動く。この揺動と作品のカタストロフを一致させるというのが、テーマ的にもストーリー構築的にも飛作品の基本構造なのである。(われながらなんてよく分かる解説だろう!)
ところで、歌集をいうものを数冊、初めて読んでみました。
その中でも、この一冊の中にある言葉。どこか、サラっとして、キラキラしている、言葉の連なり。
なんなんでしょう、この、笹井宏之氏の言葉の重ね方。こちらは、全く、分析できておりませんw。
言葉には、肌触りというか、テクスチャがあるんですよね。