あなたのあり方が、あなたに与えるもの
仕事とは、自分にとって、いったい何だろう?そんな漠然とした疑問の中で、ふと手にした本。
「適した職業」というものを考えるときに、人の思考バイアスの具体的な取り除き方を解説した内容。
社会的でもあり、個人的でもある、職業選択では、どうしても合理的な判断が難しいので、その具体的なメソッドが講習会並みに詳しく解説されてる。
しかし、この本であげられている幸福度指標=7つの徳目が有効に働く仕組みって何なんだろう?
さて、何冊目かの吉田篤弘氏の本。小説のような、エッセイのような、小説。
この物語の中でも、何人かの登場人物の仕事、工業製品への姿勢が描かれている。
主人公のお姉さんの壊れたジューサーミキサーに対するコメントが印象に残ってます。
壊れたものには、動いているものとは違う美しさがある。動けばそれは道具だけれど、動かないジューサーミキサーはその役割から解放されて、そのうちジューサーミキサーという名前からも自由になりました。
仕事や技術は、人間性、特にその可能性を開いていくもの、と言えるかもね。
言葉と出会う瞬間
随分と書いてませんでしたね。久々に書いてみます。
ずっと読んでみたいと思っていた開高健。その代表作『ベトナム戦記』を読んでみました。
全く予想と違ってました。読む前は、なんとなく、内容も文体も完全硬派なジャーナリズム記事のイメージを抱いていました。
題材はベトナム戦争を扱っていますが、著者が実体験した、戦争・ジャングル・そこで生まれる言葉にならない感情、つまり「混沌」が書きなぐられている、という印象を受けました。
恐らく、この書籍のモチーフは死に近接した時の「混沌」なのです。一方で、処刑などの社会的合理的な死に嫌悪を抱いています。
人間は「混沌」の中での生に歓喜する。そこで「言葉」が生まれるのだと。
小林秀雄氏って、おしゃれなダンディという、全く見た目だけのイメージしかなかったのですが、なんというか、人間の心の奥底にある傷=「暗闇」を見ようとしていた人なんですね。
言葉が生まれる瞬間や喜びも、その「暗闇」に対峙した時に生まれるものであり、書き言葉に傾倒しすぎると、そういうことに出会えなくなると警告しています。
言葉とは、出逢うものなのだ、とあらためて思う読書体験でした。
繰り返す思索の中に
ずっと読んでみたいと思っていた、吉田篤弘氏のエッセイ、ついに読みました。
忘れられていくものを引きとめようとすることも、本を読むことも、決めつけられたものに「本当にそうか」と疑問を呈することも、小説を書くことも、そして、本の中から言葉を見つけ出してくることも、すべて「そもそも」を知りたくてつづけてきた。
そもそもの始まりはどうだったのか。われわれがいまこのように在るのは、そもそもどうしてなのか。
結論や結末ではなく、いつでも「そもそも」を知りたい 。
すばらしい…歩くことや、本を読むことなど、ずっと、人間の行動と思索には、何かつながりがあるようで、ないような、モヤモヤした感じがあったのですが、この文章でスッキリしましたw。
一方で、職業がら「そもそも」というと失敗学を思い出します。
そもそも、何が原因で失敗したのか?という、失敗からの学びを、他の分野で生かすには?
この書では「過去の失敗から、上位概念に登り、自分事として想像する」ということを解説しています。そして、それは「創造」にも、つながる考え方だと。
自分の中で、止まることのない、もやもやした思考…そこに、何かいつもと違うものが挟まると、いつもの思考の道筋が、少しだけ変わる。
そのような繰り返しの末、見えてくるのは…いったい、何なんでしょうね。
話しの水位を調整する
いわゆる、関西人のボケ・ツッコミという話し方について、ようやく的を射た説明に出会った気がします。
津村記久子氏と江弘毅氏の、大阪について、その駄目さ加減についても熱く語っている対談本ですが、ここでは、その話法を「しゃべっているときに水位の調整が出来る大阪人」として紹介されています。
そして、その根源には風土とリズムがあるということですね。
一方で、相手を笑わせるためのスキルとして、徹底的に技術的に紹介している本がこちら。
載っている写真とコメントは、TV番組『一本グランプリ』の「写真で一言」みたいで、面白い!
花田菜々子氏の『出会い系サイトで…』で、実際にすすめられた本として紹介されていたので読んでみました。
最終戦略は、愛と語っていますねw。
相手の気持ち、その場の状況を見ながら、視点をすばやく切り替えて、押したり、引いたりしながら、相手を楽しませる。それを、対話における「愛」と読んでもいいのかもしれませんw。
言葉の重さ/軽さ
ここで言いたいのは、いわゆる「言葉の意味の重さ」ということではありません。
ある文章を読んだとき、なんとなく自分の気持ちや身体までも巻き込むような、物理的な重みを感じさせる重苦しさや、さわやかな風の中にいるような軽やかさを感じる文章のことです。
飛浩隆氏の物語を読むと、さわやかさの中にも、まるで押しつぶされそうな暴力的なイメージの中に引き込まれていきます。それが一体何なのか、実は、この本で著者は以下のように言っております。
その不安定性の上に、先ほど書いた飛の根源的モチーフ、すなわち「もの」と「かたち」と「ちから」の相克が投影され、大きく揺れ動く。この揺動と作品のカタストロフを一致させるというのが、テーマ的にもストーリー構築的にも飛作品の基本構造なのである。(われながらなんてよく分かる解説だろう!)
ところで、歌集をいうものを数冊、初めて読んでみました。
その中でも、この一冊の中にある言葉。どこか、サラっとして、キラキラしている、言葉の連なり。
なんなんでしょう、この、笹井宏之氏の言葉の重ね方。こちらは、全く、分析できておりませんw。
言葉には、肌触りというか、テクスチャがあるんですよね。
ええ感じの場所
今回の2冊の共通点は、ずばり、内田樹氏つながりですっ。
Meetsは、好きな雑誌でしたね。街の濃さが、そのまま伝わってくる内容で。その編集長である江弘毅氏がMeetsのことを書いた本があるということで、探して、買って、読んでしまいました。
人間の肌感覚で作られてきたタウン誌であることがよくわかる内容です。そんな身体感覚でつながった、人の絆のある場所で、遊ぶ、それを「街的」と呼んでいます。
東京も同じようなものと思い込んでいましたが、少々、事情は違うようですね。
さて、こちらの本は、世界の事情を語る、内田樹氏と姜尚中氏の対談本。
姜尚中氏は、アカデミックな語りを崩していませんが、内田樹氏の方は、身体感覚からの発言全開ですねw。
自分の国の過ちを語ること、時代を覆う不機嫌さ、この2点から、その国の文化的特徴と、戦争行為を語っています。
特に、面白い視点が、実は帝国の衰退を上手にソフトランディさせたイギリス、ってところです。Meetsも創刊当時注目してたのはロンドン。どこか、関係があるのでしょうか。
人々が心地よく過ごせる「ええ感じの場所」の維持。それは、会社でも、世界でも、案外、難しいものなんですね。
生きているのは最高だったよね…
アニメが良かったので、あの雰囲気を再度味わいたく、コミックの方を読み始め、全6巻を読み終わりました。
少女終末旅行の各巻の感想として、言葉をいくつか添えてみました。
戦争後の世界。朽ちゆく都市は地図になって人間を支えようとしている。いろんなものが失われていく中で、夜空や風景は美しい。
世界は、静かで、時にやかましい。暗闇の中に光を求めるように、終わりゆく世界から抜け出そう、という無謀な試みにも、安堵の時がやってくる。
時間と大きさが効率を物語る。エネルギーを集中させることでモノを作り、破壊できる。それは過去の思いを守るためか。エネルギーを平準化することは生命を終わらすことにつながる。だとすると、どちらにせよ…
ある場所には、道しるべはある。覚えておきたいことと、楽しく忘れたいこと。らせん状に回転していく。ただ、生命に終わりがあることには変わりない。
目的地が必要だ。生活のために服をつくり、伝えるために気持ちを描く。そこにいない人たちともつながりを求める。ただ、神ではない私たちには、始まりと終わりが必要だ。
好奇心や、何かをしたい気持ちに突き動かされて、ここまで来た。あらゆる道具はそのためのもの。疲れて眠るも、その思いは変わらない。命には終わりがあるが、全てがつながっていると感じる瞬間もある。生きているのは最高だ。